OB・OGの活躍

「忘れ物キング」が、世界レベルの「スーパーエンジニア」に

「ラーンネットの子どもたちは元気で楽しそうだけど、卒業後の進路は大丈夫なの? 他の学校に溶け込めなかったりしませんか?」といった質問をよく受けます。ご心配なく。みんなどこに行っても元気に活躍してくれているのです。その一人のご紹介です。

S君は公立小学校1年の時にラーンネットのアフタースクール(PCクラブ)に入会、2年の時にフルスクールができると同時入学しました。中学は私立中高一貫校に進学。同高校2年生終了時に飛び級で会津大学に入学、競技プログラミング部部長として、世界レベルの大会に出場するなどコンピュータプログラミングの分野で活躍。東京大学大学院の在学中にも引き続きプログラミングの国際大会にも出場して活躍しました。卒業後は有名IT企業D社に就職し、技術者として活躍しています。

そのS君へのインタビューです。

Q.「ラーンネットで印象的だったこと、今でも役立っていることは?」
A. PCクラブ、ロゴ・レゴロゴでプログラミングしたこと。数学の問題を解いたり、論理的なプログラムを組んだりすることが好きになった。中高時代はコンピューターから離れて試験のための勉強をしていたが、大学進学時にまたプログラミングがやりたくなり、コンピューターに強い会津大学に飛び級で入学した。

Q.「中学高校で違和感は感じなかった?」
A. 中高は受験校で、試験で競争させ、成績順にクラス分けするような学校。競争は嫌いではなかったのでそれなりに頑張った。そんなに苦労はしなかった。英数は得意だった。ただ、ラーンネットで意見を発言することに慣れていたので、どんどん手をあげて発言していたら、先生に変な顔をされた。そのうち黙ってわかった顔をすればよい、ということを覚えた。目立たないようにした。自由さがあまりなく、見ているだけ。大人数でいいことはあまりなかった。勉強している意味がわからなかった。中学時代、クラブは毎年違うものに入っていた。将棋、卓球、科学部。 周りからは急に思い切ったことに挑戦するちょっと変わったやつ、と見られたようだ。今振り返れば、中高時代も探究型のテーマ学習とかをしておくべきだった。そしたらもっと数学の必要性がわかり、プログラミングでももっと高いレベルになれたと思う。自分のしたいことと勉強が結びつくと面白い。

Q.「今後したいこと、夢は?」
A. D社では技術者に役立てる技術者になり、評価されたい。自分が得意なアルゴリズムの分野はあまり一般企業では評価されない。D社は自分のこの力を評価してくれる数少ない企業だった。将来は何かの分野で本を出して名前を知られた人になりたい。

今回は好きなプログラミングを極めたS君の紹介でした。
これから少しずつOB・OGの活躍の様子をお伝えしていきます。お楽しみに!

※最近のS君の活躍は探究コネクトが送る探Q育ちシリーズ

https://note.com/tankyumedia/n/n39f8d4d43626

からご覧いただけます。